社殿

前面に入母屋造の拝殿、中間に幣殿、その後方に一間社流造の本殿を配し、この三棟を茅葺き屋根が結んでいます。権現造の変化した形式です。

拝殿は古代から中世期の建築様式ですが、建立は江戸中期。本殿は文化14年(1813年)の再建といわれます。社殿は県の指定文化財となっています。

社殿及び本殿の棟には干木や勝男木がなく、替わりに棕櫚(しゅろ)の束が用いられています。これは神の御魂の降臨の場を意味するものといわれ、非常に珍しい形です。

本殿の彫刻物で注目されるのは、向背の中備に「繋ぎ馬」の蟇股が使われていること。「二度と合戦はしないので、もう馬は必要ない」との意味で繋ぎ馬にしたと伝えられています。この繋ぎ馬は、将門公由縁の各地で紋所にもなっており、将門公と馬との関係の深さを物語っています。

境内

(御神木)
拝殿の前方にある御神木は、粗樫です。
古木の表情から見て、社殿建立と同じ時期の植樹と推定されています。

(境内社)
社殿の西側に、「妙見社」と「守大明神」の摂社が祀られています。
写真

(石碑)
・国王神社碑(明治45年建碑)
・国王神社保存碑(大正2年3月建碑)
・平将門追慕之碑(治承5年建碑)

神紋と宝物

國王神社は九曜を神紋としていますが、北極星・日・月・火・水・木・金・土・羅ごう・計都の十星中、北極星は天帝であり畏れ多いために除き、これを以って九星にしたと縁起にあります。

九曜紋は相馬氏の家紋と同じであり、相馬氏は将門の後裔として将門公関係の寺社を厚く援助しました。

また、宝物として将門公の錫(しゃく)や鬼神丸の太刀、菱花の銅鏡、古扇なども収められていましたが、現在は失われています。